マジシャンの日常

マジシャンとして活動しています。マジシャンの裏側やマジックの秘密、また、マジシャンの視点からエンタメについて思う事、様々な役立つ情報などを綴ります。

映画HELLO WORLD 考察

 

 

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このセカイはラスト1秒でひっくり返るー

とても目を惹くキャッチコピーだが、映像がいわゆる3Dっぽい地雷臭のする映画である。しかし京都が舞台という事で一応観に行ったので、内容について思った事を。

 

主人公の住む世界は実はデータの世界で本当は外側に現実世界があり、その現実世界から現実の主人公がやってくる。そこから物語は始まり、そこで住む世界がデータだったという1つの衝撃があるわけだが、その後に再び衝撃が訪れる。外側の世界もまたデータの世界だったのだ。いわゆるマトリョーシカのような構造になっており、現実だと思っていたらデータで、その外側も実は現実ではなくデータだったという二段構えなわけだが、そのストーリーラインが結果的にラスト1秒でさらにもう一つパラレルワールドがある事が示唆されて終わる。

 

なんか難しそうというのがこの映画の感想を聞いて思う事かもしれないが、実際映画を見終わった直後、なんか難しかったね、理系が好きそうなどという感想が飛びかっていた。人々が難しいと感じる理由はどこにあるのだろう。サプライズの連続なはずなのに心が高揚しないのはなぜだろう。それについて考察をしてみた。

 

エンターテイメントにおいて盛り上がる基盤にあるのは、「ルールの共有」である。この映画においてマトリョーシカ構造になっているというルールは早めに共有されたが、結果最後までそのマトリョーシカ構造の中で起こる不思議現象の数々の理由は分からず終わってしまった。これでは出てくる感想が、なんか派手だったね。とか助かって良かったね。とか薄い感想になってしまう。どうしてそんな事が起こるのか。このような理由でこうする事は不可能である。この世界にはこういうルールがある。そういった中で絶望と思われる状況をそのルールの範囲内で突破する事を主人公は求められる。バトルをしていて、絶望的な状況に陥ったのに、なぜか超常的なパワーを手に入れ相手を倒したのでは爽快感はあっても納得感はないのである。ここが駄作が生まれる1番の原因である。いかに緻密にルールを作り上げて則っていくかにかかっている。その世界について分からない事が一番モヤモヤするのである。

 

やや不思議な世界に主人公が巻き込まれる

世界の探索が始まると同時に世界観が分かり、その世界のルールが共有される

ピンチが訪れ、ルールに照らし合わせて考えると、絶望的であることがわかる

誰も思いつかないような打開策かつルールの範囲内の策でピンチを突破

エンド

 

突き詰めればこれの繰り返しを続けるのが王道であり、良作を生み出す秘訣と言える。自分勝手なエゴや風刺などは観客を惑わせ、納得感を損なわせる原因になり得る。このシークエンスの繰り返しの中で伏線が回収されたり、バッドエンドになったり、感動して終わったりそのようにしてエンターテイメントとは完成される。これではワンパターンの作品しか作られないのではないかと思う人もいるかもしれないが、世界観や主人公のキャラクター、ピンチの状況、ピンチの数、エンドの方法など様々なパターンが考えられる。しかし突き詰めればこのシークエンスの繰り返しである。

 

みなさんも映画やアニメ、ドラマなどのシークエンス、そして「ルールの共有」について意識して見ると、どうしてその作品を面白く感じるのか、つまらなく感じるのかより深く分かり、楽しくエンターテイメントを享受できるはずだ。

 

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